爺の遺言〜惚れて使えばアバタもエクボ ・第8回


エクレール(eclair)ACL〜ミニ エクレール

はじめに-歴史

 インターネットでeclair ACLを検索すると(写真1)、eclair NPRが最初に出てきます。NPRは1963年の発売で、NEWS PORTABLE REFLEXの頭文字を採ったものです。ノイズレスで同時録音ができる最初期のカメラで、400フィートフィルムを使う大型で重いカメラです。スイス製のナグラ(NAGLA)テープレコーダーにケーブルで繋いで同時録音信号のパルスを送るシステムなので、機動性に優れているとはいえませんでした。現在の報道用ビデオカメラと同じ、マガジンを肩に乗せるスタイルのカメラの原型ともいえる16mmカメラです。

 NPRを極限まで小型軽量化し機動性を高めたカメラが、今回採り上げる1971年に発売されたACLです(写真2)。

 こちらは、設計者のアンストン コマ(Anston Coma)さんとジャック ルクール(Jacques Lecoeur)さんの頭文字を採ったそうです。ACLは基本的に200フィートマガジンを基準に設計されていて(写真3)、レンズ、フィルムを装備した撮影状態で5kg程度しかありません。

 後に400フィートマガジンも発売されましたが、小型モーターのトルクが弱く、フィルムが噛んでしまうトラブルが頻発しました。イギリスのECLAIR-DEBRIE COMPANYが主体となって、イギリスでは1971~75年、フランスでは1971~85年まで製造されていました。16mmフィルムトライアルルームに動態保存している2台はボディ、マガジンともにMADE IN ENGLADと刻印されています(写真4)。英仏共同で製作された超音速旅客機「コンコルド」の時代なので、カメラも共同製作されたのでしょう。

 爺は日本テレビの番組「明日の世界と日本」の取材で、全世界へ持ち出しました。欠点もありました。マガジンのロックが脆弱で、取り外しレバーに力が加わると落下します。爺はロンドン市内で落下させ、以後マガジン1個だけで切り抜けた思い出がありますし、スーダンのサハラ砂漠では、細かい砂との戦いでした。過酷な環境でも手入れをきちんとすれば、カメラの機能が失われた経験はありません。華奢な見かけによらず、タフなカメラです。

 ACLの時代になると、クオーツロックが普通になり、24コマで正確に回るようになりました。テープレコーダーも同じくクオーツロックで回転が正確になり、「カチンコ」を打てば、画面と音がずれることが無くなりましたので、カメラとレコーダーを繋ぐケーブルが無くなり、カメラワークが自由になりました。テレビ番組の取材は、ディレクターと2人でしたが、マイクを叩く瞬間のコマと、「ポン」という音を合わせてシンクロさせるために、カットの最初か、最後にマイクを叩くディレクターの手を撮影したものです。レンズはアンジェニューの細身の12~120mmズームが良く似合い、小粋に手持ちで振り回すカメラです(写真5〜6)。

外観

 No.C10680のボディは、爺の所属していた日本シネセル株式会社(現、株式会社CNインターボイス)が、株式会社ナック(現、株式会社ナックイメージテクノロジー)から購入した最初期型です。2個のマガジンも同時に購入したセットです。

 ボディ本体は超小型で、そこに200フィートマガジン、黒い羊羹のような小型モーター(写真7)、ファインダー、アリマウントアダプターが取り付いていますが(写真8)、「RED ONE」のように複雑な配線は一切ありません。マガジンを肩に乗せると、ファインダーが右目にピタリとフィットします。アリフレックス16STとは形状が違いますが、優れたエルゴノミクスデザインです。

 もう1台、No.C10766はGカメラマンから譲り受けたもので、ナックでオーバーホールを施し、ミラーシステムを強化部品に交換して、高トルクのバリアブルモーター(24、25コマのクオーツロック、毎秒8、12、50、75コマ可変速)を取り付けた機体です(写真9)。

 マガジンのロック機構(写真10)、バッテリーのコネクター(写真11)など製造時の原型を保っています。ちなみに、ナックも部品が払底し、オーバーホールできた最後のACLになりました。

ボディ

 前面のレンズマウントを取り外して内部を見ると、ミラーが見えます。これは左右に往復運動をする「振り子ミラー」で、回転ミラーではありません(写真12)。ミラーの奥には回転するシャーッター板が組み込まれています。レンズマウントは中心にCマウントがあり、外周にもネジが切られています。ここに専用のアリフレックスマウントアダプターを取り付けます。アリスタンダードとバヨネットが兼用できます。

 レンズマウントの下には、スタートスイッチがあります。ボタンを押して左にスライドさせると回転が保持されます(写真13)。フィルムゲート側を見ると、フィルム掻き落しピン、サイドプレッシャープレート、マガジン駆動軸があるだけです(写真14)。

 露光中のフィルムを固定するレジピンはありませんが、抜群の画面安定性があります。そのほか上部にはゼラチンフィルターホルダーの差込口と、ハンドルを取り付けるネジ(写真15)、下部にはテープレコーダーと繋いだときに、クラッパーランプ点灯と、パルス信号を発生させる装置の切り替えスイッチ(爺は全く使ったことがありません)、バッテリーと繋ぐパワーコネクターがあります(写真16)。

■モーター
 24コマの定速で回る小型タイプが日本では標準装備でした。このほかにヨーロッパ向けに25コマタイプ。後に、大型になった400フィートマガジンに対応するために、トルクを増した少し大型のバリアブルスピードタイプも発売されました。

■ファインダー
 ごく普通のファインダーで、傾けると画像も傾きます。どの位置でも画像が傾かないオリエンタブルタイプもありましたが、爺は使いませんでした(写真17)。

マガジンとフィルム装填

 ここで思い出してください。「シネコダック」で上下にフィルムを重ねて装填するタイプのカメラを紹介しました。ACLのマガジンもこのタイプで、小型化を目指したものです。

 生フィルム側の左には、フィルム残数を表示する目盛がありますが、デジタルなど数字の表示はどこにもなく、大雑把にしか判りません(写真18)。

 生フィルム側の蓋を開けると、フィルム残量カウンターレバーとフィルムスプール軸が見えるだけです。200フィートスプール巻きのフィルムを嵌め、巻き取り側へ続くスリットへフィルムの先端を押し込みます(写真19〜20)。充分な長さを押し込んで生フィルム側の蓋を閉めれば、後は明るい場所で作業できます。200フィートで約5分30秒撮影できます。

 巻き取り側の蓋を開けると、フィルムの先端が出ています(写真21)。プレッシャープレートを押してフィルムを出し(写真22)、弛みを14パーフォレーションにするのが面倒といえば面倒ですが(写真23)、慣れてくると、指2本を縦にして弛みを作る場合もありました(写真24)。

 その弛みを上下均等に押し込むと、ループが形成されます(写真25)。

 ACLの最大の事故はループをつくって、マガジンをボディに装着するときに起きます。上下均等にしても、掻き落しピンを所定の位置に置かないと、1コマ目を掻き落さないことがあります。すると上のループが無くなり、画面が流れてしまいます。マガジンの巻き取り側の蓋を外して見ていると、この現象ははっきりわかりますが、蓋を閉めたまま装着すると確認することができません(写真26)。幸い爺には経験がありませんが、ラッシュを見て青くなっていたカメラマンがいました。

 マガジンのボディ取り付け部、プレッシャープレートの周囲は、回転音が漏れないように、ゴムのO(オー)リングで密閉されています(写真27)。

その他の各部

■バッテリー
 12VDCバッテリーをケーブルで繋ぎます。オンボードバッテリーは見たことがありません(写真28)。

■レンズ
 アリスタンダードマウント、アリバヨネットマウント、Cマウントのレンズは自由に使えます。爺が最も使ったのはアンジェニュー12~120mmF2.2のズームです。これにアンジェニュー5.9mmかシュナイダーシネゴン10mmのワイドを加え、ニコン-Cアダプターで、200mm程度の望遠レンズを組み合わせていました。テレビ番組の取材では、このようなレンズ構成で撮影できないテーマはまずありません(写真29)。

■アクセサリー
 ハンドグリップは三脚孔に取り付けるタイプと、サイドスイッチを使うために、カメラ側面に取り付けるタイプがありました(写真30〜31)。

 上部に取り付けるキャリーハンドルは、各社が工夫して製作していたようです(写真32)。

同時録音用ノイズレスカメラ

 デジタルで撮影する場合、ノイズレスは当たり前ですが、1970~80年代に多用されていた16mmフィルム用ノイズレスカメラは、エクレールNPR、ACL、アリフレックス16SR、CP-16Rしかありませんでした。どの機種も基本は「24コマで正確に回ればOK」でしたので、余計な機能は最初から付属していません。

 デジタルカメラとの最大の違いは、万能機ではなく、単能機だったことです。ビデオアシストなど使いたくとも存在しませんし、もし、あったとしてもドキュメンタリーやニュース取材では使っている暇もありません。だからこそカメラマンの腕が求められた時代です。

 ACLは、多少の問題点には目を瞑って、扱いやすさと機動性では群を抜いていました。第9回でアリフレックス16SR、第10回でCP-16Rを紹介する予定にしていますが、比較すれば一目でわかります。
 お楽しみに!


荒木 泰晴

About 荒木 泰晴

 1948年9月30日生まれ。株式会社バンリ代表取締役を務める映像制作プロデューサー。16mmフィルム トライアル ルーム代表ほか、日本映画テレビ技術協会評議員も務める。東京綜合写真専門学校報道写真科卒。つくば国際科学技術博覧会「EXPO’85」を初め、数多くの博覧会、科学館、展示館などの大型映像を手掛ける。近年では自主制作「オーロラ4K 3D取材」において、カメラ間隔30mでのオーロラ3D撮影実証テストなども行う。

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