爺の遺言〜「シネレンズ」シリーズテスト・第5回 : ツァイス
ドイツの伝統
1973年、爺が初めて海外ロケに派遣されたのは、ヨーロッパとアメリカの高速道路の状況を取材するチームのセカンド撮影助手でした。スタッフは、監督、カメラマン、チーフアシスタント、爺、各国の通訳を含め、合計5人のチームです。アリフレックス35ⅡCを日本から2台持っていきました。
最初のロケ地がドイツです。フランクフルトで入国し、その日にボンまで移動しました。ドライバーは24歳の爺で、初めての右側通行に戸惑いましたが、ドイツの道路交通システムは安全でわかりやすく、ドライバーのマナーも洗練されていましたので、アウトバーンの運転にも短時間で順応できたことを覚えています(写真1)。
撮影が順調に進み、ドイツに慣れたころ「記念になにか買おう」と思っていたところ、時計屋の店先で目覚し時計を見つけました。それがドイツ製のキンツレ(KIENZLE)で、ゼンマイで動くアナログ時計でした(写真2)。
購入して以来、ほとんどのロケに持っていきましたが、酷使したためか目覚しベルのゼンマイが切れてしまいました。それでも電池不要の便利さから使い続け、1981年もアフリカのザイールまで持っていきました。帰路、デュッセルドルフの街角で時計屋をみかけたので、キンツレを持参して「ゼンマイを直せるか」と聞いてみました。時計屋の主人に「3日後に来い」と言われたので、再訪すると、直っていました。ごく普通の修理のようでした。2016年、購入から43年後でも正常に動いています。
ウイキペディアによればキンツレは「ドイツ最古の時計メーカー」と紹介されている老舗です。現在でも「当たり前に修理できる」のでしょう。
また、ドイツでは30年以上乗った自動車にはH(歴史)ナンバーが付き、特別の存在として扱われるようです。
「良い製品は捨てないで修理する」。
ドイツ製品を選ぶ人々は、こんな伝統の信頼性を買っているのでしょう。
ツァイス(Zeiss)のシネレンズを買う
爺の手元には、アリフレックスの16mm STおよびSRⅠ、Ⅱが13台。35mmⅡB、ⅡC、ⅢC、Ⅲが29台。すべて動態で保存してあります。キンツレと同様、現在でも完璧なオーバーホールができ、部品もそろっています。
35mmはニコンマウントに改造した機体もありますが、16mmはアリスタンダードとバヨネットマウントのオリジナルです。
ツァイス製のアリマウント16mm用のレンズは、下記の18本。
・ディスタゴン(Distagon)8mmF2×8本
・ディスタゴン9.5mmT1.3×2本(スーパー16用)
・バリオゾナー(Vario-Sonnar)10-100mmT2×6本
・バリオゾナー10-100mmT3×2本
そして、16と35mm兼用のレンズは、下記の17本があります(写真3、4、5)。
・ディスタゴン16mmF2×5本
・ディスタゴン24mmF2×5本
・プラナー(Planar)32mmF2×3本
・プラナー50mmF2×3本
・プラナー85mmF2×1本
爺の会社が、最初にツァイスのシネレンズを購入したのは1981年12月のことでした。それまではクックとシュナイダーのレンズが主力で、ツァイスのレンズは拡大撮影専用のルミナー(Luminar)40mmとバリオゾナー10-100mmT3しかありませんでした(写真6)。ルミナーは抜群の性能をもっていて、ツァイスレンズの実力は、どのカメラマンも認めていましたが、F2のプライムレンズシリーズは、日本国内ではクックやシュナイダーの2倍近い価格だったので、購入に踏み切れないでいました。
「ドイツへ出向いて、アリの本社から直接購入するなら、なんとかならないか」と、爺は考えました。伝手をたどって価格を調べてみると、ドイツマルクの販売価格がわかりました。
1981年11月下旬、アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)ロケがあり、パリ経由でキンシャサへ飛ぶルートでした。スタッフは爺だけだったので、帰りにドイツへ足を伸ばしてミュンヘンのアリ本社まで行こうと決め、会社からドイツへレンズ購入資金を送金してもらう手続きを済ませました。当時、日本から比較的楽に送金できる銀行は東京銀行だけで、デュッセルドルフに支店がありました。
撮影を終えて、キンシャサからパリ経由、デュッセルドルフで5日ほど(キンツレの修理はこのとき)滞在し、日本からの送金¥500万分のマルクを受け取りました。
12月初旬、ミュンヘンへ移動する当日は降雪で道路が大渋滞。ドイツ語の通訳が空港に来られません。「何とかなるだろう」と、爺一人でミュンヘンまで飛び、テュルケンシュトラッセ(TÜRKENSTRASSE)の、アリ本社へたどり着きました。
注文書(e-mailはない時代)は送ってありましたので、その請書を受付で見せると、販売担当者に連絡がつきました。ベテラン(初老)の担当者は「本当に来たのか」という表情でしたが対応は親切でした。共通語は英語です。爺のデタラメな英語を根気よく聞いてもらいながら会話していると、
「レンズの在庫はなく、注文に応じてつくるので、送るなり、取りに来るなり、決めてください」
「どのレンズが何本欲しいのかはリストをもらっているが、大(Big)と小(Small)があるので、どちらかにしますか」(意味不明でした)
「現金か、小切手のどちらで支払いますか」
「日本の代理店には内緒にしてください」
などが理解できました。
爺は、
「取りに来るので、完成したら教えてください」
「大(Big)をお願いします」
「現金で支払います」
と答えましたが、大小の意味については「レンズの大きさ」だと思って「大」と答えたものの、意味が違っていました。担当者は、「16mm用のプラナー16mmと35mm用のディスタゴン16mmが存在する」ので、16mm用と35mm用の違いを大小と言ったのです。いまにして思えば、デジタルAPS-Cサイズで使える高性能の超広角レンズが、図らずも入手できたわけです。
こんなやりとりで、ディスタゴン8mmF2×4本、ディスタゴン16mmF2×4本、ディスタゴン24mmF2×4本、プラナー32mmF2×2本、プラナー50mmF2×2本、合計16本を注文し、約¥500万分のマルクを現金で支払いました。日本の販売価格よりかなり安い平均¥30万ほどでしたが、1981年当時の¥500万ですから、現在なら2倍以上の価値に相当するはずです。
「レンズが16本そろった」との連絡を受けて、1982年3月、サウジアラビアロケの帰り、スイス、チューリッヒ経由、陸路レンタカーでミュンヘンまで受け取りに行きました。90日間のロケを終えて、監督とスイスのドイツ語通訳の3人で、休養を兼ねた気楽な旅でした。
そんな大らかな段取りが許される「良き時代」があって、16本のツァイスシネレンズは爺の手元にあるのです。
その後、16mm用の10-100mmT2ズームレンズや、8mm、9.5mm、バヨネットマウントレンズ群が寄贈され、出番を待っています。
テストするレンズとその外観
クック、シュナイダーの35mm用レンズをテストしましたので、ツァイスも35mm用17本をテストします。
16mm、24mmはディスタゴン、レトロフォーカスタイプ。32mm、50mm、85mmはプラナー、ガウスタイプですべてF2です。これらの中にはバヨネットマウントが1本ずつ含まれています(写真7)。
クックやシュナイダーには50年物があったのに対して、ツァイスは1982年以前に製造されたレンズは含まれていません。それでも30年以上経過していますが、新世代に設計されたレンズと言って差し支えないでしょう。
クックやシュナイダーに対して、色彩やピントの切れ、どの雑誌にも書かれている、ツァイス最大の特長「良好なコントラスト」は、シネレンズでも優位に保たれているのでしょうか。
アリスタンダードマウントのレンズは、アリフレックスのターレットに3本装着できる小型の鏡胴で「ミッキーマウスの耳」のようなフォーカスレバーが付いています(写真8)。大きさの割にずっしりと重く、特にディスタゴンはガラスが詰まっていることが実感できます。
コーティングは「T*」(Tスター)でマルチコーティングです(写真9)。絞りはT値だけが表示してあり、クリックストップ付きで解除することはできません(写真10)。絞りは独特の複雑な星形で、羽根は9枚です(写真11)。距離はメートルとフィートが刻印されていますが、指標は1カ所しかありません。
バヨネットマウントは鏡胴が太く、1本しか装着できません(写真12)。鏡胴にはフォローフォーカス用のギアが設けてあります(写真13)。距離は、メートルとフィートが両方独立して刻印してあります。
コーティングはT*。絞りはT値で、クリックストップはありません。絞り羽根は6枚で六角形に絞られます。この時代は、ツァイスでもボケを気にする様子はありません(写真14)。
レンズマウントは、両方ともステンレス製で摩耗に対して強くなっています。クックは日本でマウントとヘリコイドが加工されることが多かったのですが、ツァイスはアリから完成品が輸入されていました。
F2シリーズは、スタンダードもバヨネットも、レンズそのものは同じに見えます。バヨネットマウントシリーズには、後にT1.3のハイスピードシリーズも発売されましたが絞り羽根が3枚で、ボケも三角形になってしまい、良い印象ではありませんでした。ツァイスの、レンズに対する絞り羽根の枚数とボケの考え方は一貫しないようです。
ボケに気を使うようになり、性能がフルに発揮されるのは大口径のPLマウントが開発されてからです。
小型軽量のスタンダードマウントF2シリーズは、カメラマンが自分でフォーカスを送るドキュメンタリー撮影には便利でしたが、助手がフォーカスを送ることが多い劇映画のスタジオ撮影には不向きでした。また、マウントの口径が小さく、大口径のハイスピードレンズを装着するには無理があったようです。
現在、どのメーカーのPLマウントレンズも、精密なフォーカス送りのためにヘリコイドの螺旋ピッチが緩やかになり、レンズが大口径化して、鏡胴が太く重くなり、1本2kg以上もある単焦点レンズは珍しくありませんので、カメラマン自身がフォーカスを送ることは、やりたくてもできなくなりました。
16mmフィルムカメラでドキュメンタリーを撮影するチャンスは少なくなる一方ですが、小型のデジタルカメラに装着してバランスの良いアリマウントのツァイスレンズは、貴重品になりつつあるようです。
テスト撮影
撮影日は2015年9月23日、快晴でした。感度はISO 100。絞りはF5.6。主な被写体は日陰でしたから、ホワイトバランスは晴天日陰。カメラの適正露出表示からいつものように1/3絞り絞っています。
マウントアダプターの関係でアリバヨネットレンズ5本は、パナソニックLUMIX GH1(写真15)。スタンダードレンズ12本はソニーNEX-7で撮影しました(写真16)。両カメラの露出や色彩の傾向も合わせて比較して見てください。そのほかの詳しいテスト条件は、第1回目に掲載したテストの前提条件をご参照ください。
アリバヨネットマウントの6本は、パナソニックLUMIX GH1で撮影しました(写真17〜22)。GH1カメラは、1/3絞りアンダーで撮影しているにもかかわらず、色彩が明るい印象で、軽快で鮮やかな画面を目指しているようです。この傾向はLUMIX GH4まで続いているかどうか爺にはわかりませんので、GH2、GH3、GH4をお持ちの方のご意見を伺いたいものです。
アリスタンダードマウントの13本は、ソニーNEX-7で撮影しました(写真23〜35)。
NEX-7では適正表示より1/3絞り絞ったとおり、少々アンダー気味に再現され、渋めのこってりした色彩で、どちらかと言えば爺の好みの色です。
GH1とNEX-7のセンサーの画素数の差の影響は、A4判程度ではわかりません。
すでに旧型に属する両カメラですが、普通に使う場合にはまったく破綻はありません。さすがは日本のカメラで「よく練ってから販売している」と言うべきでしょう。
ツァイスレンズの総括
GH1とNEX-7で撮影したどのカットを見ても、ディスタゴン、プラナーとレンズの構成が変わっているにも関わらず、見事にそろった画質と色彩です。ピントの切れも申し分ありません。コントラストも統一されています。また、T5.6に絞って、17本交換しても明るさの違いがわかららないほど、製造誤差がありません。
一方、ツァイスとニッコール、両レンズのコントラストも見分けがつかないほど似ていて、大げさに書かれるほどの優劣はありません。
ニッコールと比較して、色彩やピントの切れなどの差がわかりますか。もっとも本家のイコン(Ikon)ですから、ニコン(Nikon)と似ていても不思議はないかもしれません。
「きちんと絞り、きちんとハレーションを切れば、近代のレンズは見分けがつかなくて当然」という当たり前の結果です。
クックと比較すると、製造技術と金属やガラス材料の安定性は数段優っています。シュナイダーとはよく似ていて、ドイツの思想が貫かれていることが判ります。
「クックの温かなセピアトーン」、「シュナイダーの模範的なニュートラル」、「ツァイスの爽やかなシアン」は、フィルムでは判別がつきますが、デジタルでは経年変化でレンズの色そのものが変わってしまう現象以外は差がありません。3社のレンズは「その時代の映像を創造してきた最強の道具」と言っても過言ではありません。
現在の流行、開放F値付近の絞りと、基本的にピントの甘いレンズを選んで撮影して、「アート」と言い換えるのは爺の撮影スタイルではありません。ツァイスレンズを選んでも、わざわざフィルターを使って甘い画面を作りたがるカメラマンもいるようですが「レンズの本質を見誤っている」と、爺は思います。幅10mに拡大された甘い画面に、料金を払うことはできません。
シュナイダー、ツァイスを連続してテストしてきました。ドイツ流の「納得するまでやる」という徹底ぶりは、レンズの先駆者たる両社の伝統を改めて認識させられました。
また「レンズのシリーズは、同じ時期に購入され、同じように使われ、同じように古くなっていくべき」と書きましたが、それを地でいく結果になりました。
では、日本のシネレンズはどうなっているのでしょう。次回は、オールドレンズに属するシネフジノンと、現行品のプロミナー、フォクトレンデルの国産のレンズ群を比較テストします。