池上通信機HDK-97ARRI~Unicam HDとデジタルシネカメラの融合
本稿は2013年11月22日発売の月刊ビデオα(2013年12月号)に掲載した記事を再編集したものです。内容に掲載当時の情報が含まれていますので、あらかじめ御了承ください。
開発背景とコンセプト
HDK-97ARRIは、ドイツARRI製スーパー35mmフォーマットのラージセンサーとPLレンズマウント含むフロントエンドを、池上通信機のデジタル画像処理プロセスに融合した新しいコンセプトの放送用システムカメラである(写真1)。池上通信機Unicam HDシリーズのトップエンドモデルとして位置づけたカメラであり、2/3型サイズのセンサーでは得難い、浅い被写体深度から生み出される自然な立体感を演出することができる。
ARRIは、フィルムカメラの時代からシネマ業界をリードする老舗であり、近年のデジタルシネマ業界では定番となっている「ALEXA」カメラを開発し、ハリウッドを初めとする世界の映画やドラマの制作現場において素晴らしい作品を生み出すのに貢献している。
デジタルシネマカメラを使用した本格的な撮影では、素材をRAW記録した後、パソコンに取り込み、カラーグレーディングと呼ばれるデジタル現像処理をして所望の映像を得るというプロセスを経る。この手法は、映像を細かくつくり込めるという利点はあるものの、大変多く時間とコストがかかるため放送業界が求める運用(短期間・低コスト)にはなかなか適用できないのが現実である。
また、放送向けのソリューションとして、デジタルシネマカメラをシステムカメラとして運用可能にするための光伝送装置が存在するが、放送用システムカメラ専用機ほど詳細かつリアルタイムに映像のコントロールができず、カメラと接続するケーブル類も煩雑になり運用性もおよばないのが現状である。
そこで池上通信機とARRIは、お互いの強みを理解し合いながら協業することを決意し、ARRIの魅力的なシネマテイストの映像表現を有しながら、放送用システムカメラとして重要なマルチカメラ運用と映像のリアルタイムコントロールに対応した製品の実現を目指した。
その結果、HDK-97ARRIは現用の放送システムに慣れたカメラオペレーターやビデオエンジニアが、特別にシネマカメラであることを意識することなくオペレートが可能で、2/3型センサーを搭載したスタンダードシステムカメラとの混在も容易なカメラとなった。
これにより、適材適所にラージセンサーおよび2/3型センサーそれぞれの長所を活かした映像を提供することで、ドラマ撮影・音楽プロモーションビデオ撮影・ライブ撮影など幅広いジャンルにおいて魅力的なシステムの提案をすること可能にしている(図1)。
ARRI製のスーパー35mmラージセンサーとPLレンズマウント機構
ARRIのラージセンサーは、特にダイナミックレンジを重視した設計となっている。フィルムシネマカメラからデジタルシネマカメラに移行する際、フィルムのもつ広いダイナミックレンジを、撮像センサーを用いていかに実現できるかを追及してきた。
カメラの性能を決める4大要素は「感度」「SN比」「ダイナミックレンジ」「解像度」であり、このうちの解像度以外については、画素の大きさによって決まってくる。図2は、HDK-97ARRIのセンサーと、一般的な4K解像度をもつセンサーを比較したものである。
スーパー35mmサイズのセンサーで4Kの解像度を有するには、画素サイズを約5μmにしなければ実現できない。これは従来の2/3型HDセンサーの画素サイズとほぼ等しい。
HDK-97ARRIのセンサーは、あえて画素数を減らして8.25μmという巨大な画素サイズを採用することにより、高ダイナミックレンジ、高SN比、高感度を実現している。さらに、画素間のクロストークを大幅に低減し、混色という画質劣化を排除する役割も果たしている。
また、2880×1620という有効画素数は、「1.5倍」すると4K解像度になり「1/1.5分」するとHD解像度になる。この「1.5」という係数によって高画質を維持しながらスケーリング処理が可能であり、解像度の面においてもバランスを考慮した設計となっている。
このセンサーがキャプチャーする高ダイナミックレンジの信号は、デュアル ゲイン アーキテクチャー(以下、DGA)と呼ばれる信号処理を経て忠実にデジタル信号に変換される。DGAとは、素子からの出力を異なる2つのアンプにより、2系統の信号として読み出す手法である。1つ目の系統はゲインを上げた信号で低輝度領域を表現し、もう一方はゲインを下げた信号で高輝度領域を表現する系統となる。
そして、それらの2系統の信号を14ビットでA/D変換し、結合させることで16ビットとしている。これによって、低輝度領域、高輝度領域共に階調を確保し、高ダイナミックレンジとSN比を両立することが可能となっている。
HDK-97ARRIで採用したARRIのPLレンズマウント機構の概略図を図3に示す。PLレンズには大小さまざまな種類のレンズが存在し、ロッドサポートが要求される超重量級のレンズがカメラに装着された場合でも、安定した焦点位置を保たなければならない。
HDK-97ARRIでは、PLマウントとセンサーを実装した基板の間を、堅牢かつ熱膨張率の安定したステンレス製の部品によって高精度に結合させる構造となっている。これにより、周囲の環境やレンズの種類に左右されず、常に安定した焦点位置を維持することができる。
センサーの前面に電動式の光学NDフィルターを搭載
一般的にPLレンズを使用するカメラでは、マットボックスなどのアクセサリーを使用してレンズの前面に光学フィルターを搭載する必要があるため、フィルタの面積は大きくなり高価なものになってしまう。
HDK-97ARRIでは、センサーの前面にスライドする電動式のNDフィルターを1枚搭載し、カメラのプログラムファンクションスイッチや、オペレーションコントロールパネルから操作可能である。このNDフィルターの減光率は1/16(OD値=1.2)であり、PLレンズの性能を最大限に活かすため吸収型の極薄仕様となっている。
リアルタイム映像処理
HDK-97ARRIは、ARRIのフロントエンドで最適化処理された16ビットのデジタル信号を池上通信機の最新デジタルプロセスに入力し、さまざまなリアルタイム映像処理を施すことを可能とした。デジタルシネマ業界の言葉を引用するなら、リアルタイムカラーグレーディング処理と表現できる。
ここでいう「リアルタイム」とは、単に決められた設定を実行し続けるのではなく、コントロールパネルを介して映像の状況に合わせながら各種設定値を変更できることを意味する。
具体的な調整例を挙げると、
・IRIS値を固定して被写界深度を一定に保ったまま、マスターゲインで映像レベルの微調整を行う
・バリアブル色温度可変機能により、ホワイトバランスを絶対温度指定で徐々に変化させる
・フェイストーンレベルを一定に維持しながらハイライト部の飛び具合や黒の階調のみを調整し、ダイナミックレンジの広い映像をつくり込む
という処理を、実際の映像を確認しながらコントロールパネルにより調整できるということが、システムカメラとして重要な技術といえる。
カスタムガンマカーブ作成機能
放送業界では、映像出力の標準フォーマットとしてHD-SDIが使用される。HDK-97ARRIでは、入力された16ビットの信号をうまく圧縮しながら、最終的にこの信号規格の10ビット109%の中にマッピングしなければならない。
これまでは固定の係数で作成された数種類のガンマカーブを提供していたが、HDK-97ARRIに搭載されたカスタムガンマ機能により、ユーザー自身が自由度をもってガンマカーブを作成することが可能となっている。いかにうまく高ダイナミックレンジの信号を圧縮しながら目的の映像をつくれるかがノウハウとなり、そのデータはユーザーの資産と成り得る。
PCソフトウェアとして提供する「カスタムガンマ エディタ」を使用すれば、ガンマカーブの作成をより細かく視覚的に行うことができ、作成したカーブはPCベースで資産管理することが可能となる(図4)。
フォーカスアシスト機能
ラージセンサーの使用により、浅い被写界深度により立体感が出せるというメリットがある一方で、カメラオペレーターのフォーカス合わせがとても困難になるというデメリットがある。映画撮影の世界ではシーンに合わせてメジャーで綿密に距離計測しながら専門のオペレータが焦点合わせを行うのが一般的であるが、放送用カメラの場合、カメラオペレーターはビューファインダーに頼りながらフレームワークとフォーカス合わせのオペレートを1人でこなす必要がある。
HDK-97ARRIでは、少しでもその負荷を軽減するためにフォーカスアシスト機能を搭載した。池上のフォーカスアシスト機能の特徴は、映像減衰回路とピーキング回路を組み合わせ、フォーカスポイントを探るための輪郭信号を強調する仕組みにある。さらにフォーカスリングの動きを検出してフォーカス合わせを行うときにのみ補正信号を重畳することが可能で、常にピーキング信号で画面が覆われないで済むという利点がある(図5)。
筐体構造・放熱・静音化設計
HDK-97ARRIで採用したARRIのセンサー駆動回路および画像処理回路は、消費電力がかなり高くなるため、静音性と堅牢性を兼ね備え、さらにはそのデザインに意匠をもたせるための筐体設計は困難を極めた。ARRIの技術者たちと3D CADの画面をプロジェクターに映し出し、両者の歩み寄れる構造を議論しながら設計を進めた。
ARRIはその放熱構造に独自のコンセプトをもっており、高い信頼性を保っている。それは故障の原因となる虫や埃などの侵入を防ぐため基本的に筐体を密閉構造でつくり、センサーや内部モジュールはヒートパイプを通じてヒートシンクに接続し、そのヒートシンクをダクト構造により効率よく放熱する仕組みである。ダクト構造であれば、基本的にヒートシンクの間に流す風量だけを定義すれば良い。
図6に示すような流体シミュレーションを重ね、排気孔を通る風量がARRIが要求する風量となるように、ダクト構造の設計およびファンの選定を行いながら、静音構造の実現を目指した。
池上通信機側のデジタルプロセスに関しても同じダクト放熱構造を採用し、静音かつ効率の良い放熱を実現した。雨水などの侵入を防ぐために排気孔を後方の側面に設け、図7に示すような流体シミュレーションを重ね、最適な空気流路になるようにダクト・ヒートシンク構造の設計およびファンの選定を行った。
また、ARRIのフロントエンドにおけるセンサーの温度管理技術は大変優れており、外気温が−20℃から+45℃に変化しても、ペルチェ素子やヒーターを巧みに制御することにより、センサーの温度が常に+35℃に保たれている。これが、いかなる環境下においても常に安定した画質を維持するための要素技術となっている。
PLレンズおよびレンズアクセサリー
富士フイルムから発売中の35㎜ PLマウントズームレンズのZKシリーズは、シネスタイルのレンズにもかかわらず着脱可能のENGスタイルのグリップを搭載し人気を集めている。放送用2/3型レンズと同様のインタフェースを装備し、コントロールパネル経由でIRISのコントロールが可能であり、写真2のようなズームデマンド、フォーカスデマンドを使用したスタジオ三脚運用スタイルをシンプルに実現できる。正にHDK-97ARRIのコンセプトを強力に支えてくれる存在である。
グリップのない通常のPLレンズを使用する場合においてもC-motion、Preston、Heden、Chroszielなどのレンズリモートシステムを介してコントロールすることが可能である。
また、PLマウントに対応した多くの単焦点レンズが使用できることも魅力の1つといえる(写真3)。単焦点レンズならではの明るさ、キレやボケ感、カメラワークを作品に加えるという楽しみを制作者に提供することができる。 写真4のようにPLマウント→2/3型レンズマウント変換アダプターを装着すると、2.5絞り分の感度低下が発生するが、2/3型レンズの資産を有効活用することも可能である。
2013年8月25日に、世界最大規模の音楽イベント「MTV Video Music Awards2013」が米国ニューヨーク・ブルックリンで開催され、MTVにより全米に中継された。この場に8式のHDK-97ARRIを含めた合計19式の池上通信機システムカメラが使用され、正にわれわれの描いたシステムコンセプトが早くもこの大舞台で実現された。VMAディレクターであるHamish Hamilton氏からもその画質、運用性について高評価をいただくことができた。
どのような舞台裏も絶妙なチームワークによって支えられている。HDK-97ARRIを新たに加えたUnicam HDシリーズは、お客さまのチームワークを忠実にサポートしながら感動を与える映像をつくりだすカメラシステムとして今後も進化し続けることを約束する。
問い合わせ先:池上通信機・営業本部TEL03-5748-2211
URL:http://www.ikegami.co.jp/products/broadcast/